Neoron
intro
いつ、どのタイミングでこの世界が崩れ始めたのか?
少なくとも、俺が産まれた時には、この世界はどうしようもないところまで来ていたんじゃないかと思う。
スラム街にひっそりと佇むボロボロのアパート。かつてこの街がお洒落の最先端だなんて言われていた頃の面影はどこにもなく、鼻につくヘビーアシッドの香りが辺りに充満している。怠惰と倦怠に包まれて、なんの希望も持てない未来に見切りをつけたはいいが、明日もまた生を貪らなきゃならないジレンマが、この街全体を包んでいる。
アパートの薄汚れたベッドの上で、俺は目覚めかけのまどろみの中で回想めいたものと、夢の世界を行き来していた。
不意に、テーブルに置かれた通信端末が震え、誰かが俺にアクセスを試みようとしている事がわかった。データを脳へ転送し着信を受ける。
『……任務だ、出頭しろ』
「了解」
脳内シナプスに滑り込む音声データへ手短に応答すると、程なく通信が途絶える。わざわざ声を出す必要はないが、より明確な意思伝達として音声として出力するのは意外と大切だ。
でなければ、余計なデータやノイズが乗りやすくなるのは人間としてのサガなのかもしれない。
ベッドから身を起こした俺は、手早く着替えを済ませると、端末を拾い上げ、クローゼットから荷物を手にし、夕焼けに染まるやたらと殺風景なアパートをあとにした。
episode 0
《第一次戦闘特区》
──亜生物によって占拠された地区の解放、および人命救助。
俺が所属している部隊に与えられた任務は、端的に言うならばそういう内容だった。
『分かっているとは思うが、相手の知能の高さは我々に匹敵する。……くれぐれも注意しろ』
ブリーフィング用の軍用回線で、中隊長のヨアヒム中佐はそう言い終えると通話を遮断した。通話の遮断とともに、擬似空間は真っ白なテーブルと椅子だけの丸い部屋へと変わる。
ダイレクトケーブルを首から引き剥がして、俺は軍の施設に備えられた通信ポット……通称ホワイトポットから抜け出すと、その足で俺たちの小隊に与えられた兵舎へと向かった。
機能性だけに重点を置かれた兵舎では、小隊のメンバーが俺からの指示を待っていた。
小隊は俺を含めて合計四人で構成されている。情報処理技術者件オペレーターの一人を除けば、実働部隊は三人だ。
「カワシマ隊長、作戦案に御裁可下さい」
気密ハッチを通り抜けて兵舎に入るなり、オペレーターのアシュア・リーベックが軍用端末を片手に詰め寄ってきた。
透き通るような金髪をしっかりと後ろでまとめ、衿先まで張り詰めたような着こなしが、律儀な性格をうかがわせる。
「見せてくれ」
軍用端末を受け取ると、手早く内容の確認に移った。
「ショーンとウェルダーは?」
「既にブリーフィングルームで待機しています」
通常の1000倍で再生される端末からの作戦データを数秒で確認し終えた俺は、同じ小隊メンバーの二人について、アシュアからの素早い返答に首肯した。
「作戦内容は?」
「伝達済みです」
相変わらず仕事が早い。
概ね作戦内容には問題がないことと、修正案についてはそのままブリーフィングで訂正を加える事を伝え終わるころには、木目を模したテーブルが備えられたブリーフィングルームへとたどり着いた。
部屋で起立しは、敬礼で出迎えてくれているのは、ショーン・ウエストウッドとウェルダー・キーンの二人だ。
一見して生身の人間のような見た目のショーンに比べると、ウェルダーの外観はかなりメカニカルになっている。全身を機械化しているので、生身の部分はすでに残っていない。
それでも外観上はある程度人間らしい肌感を表現されているところがあるのは、ロボットと人間を厳密に区分するためでもある。
しかし、彼がオリジナルなのかと言われれば、人格さえもコピー出来てしまうこの世界では、もはや判断する方法などない。
全てがオリジナルであり、全てがコピーなのかもしれないのだ。
「作戦は伝達してあると思う」
敬礼で迎える部下を手で制し、俺たちは具体的な作戦の訂正を加え、今後の作戦行動について綿密な確認と打ち合わせを済ませた。
「敵の行動パターンからの推測でしかない、十分に注意しろ。質問が無ければ出発する」
『イエッサー!』
「例によって他の部隊との連携などは一切ない。……我々だけの単独任務になるが、問題なくこなせるだろう。ただ、注意だけは怠るな」
『サーイエッサー!!』
掛け声とともにブリーフィングルームを飛び出すようにして、部下たちは準備に取り掛かった。あとを追うような形で、俺も自らが行うべきことに取り掛かる。
目指すのは最前線からほど近い第一次戦闘特区である「カリスペル」という町だ。そこからおよそ80キロほど北上した場所が、亜生物によって占拠されている。
作戦に必要ないくつかの準備を手短に済ませると、仔細をヨアヒム中佐へ報告し、俺たちは現地へと急行した。
《NEORON》
2382年8月27日 13:31
アメリカとカナダの国境にほど近い街であった「ユリーカ」が、突如として消失した。通信は途絶え、関わりのある一切への連絡が出来なくなってしまう。
調査のために向かった人々はことごとく連絡を断ち、最終的にドローンを使った大規模な調査部隊を派遣して真相がようやく明らかにされた。
亜生物の侵略である。
ドローンからの映像を解析した結果、一秒の間に三千メートルを高速で移動する生物を確認。
これは、当時すでに問題視されていた「新人類」と呼ばれる存在によって引き起こされたのではないか?といった情報が飛び交っていたが、明らかに人の形状とは異なった映像の入手によって、さらに人類を震撼させた。
驚異的な身体能力に対抗するために、人間は「新人類」と呼ばれる超人類によって組織された部隊を設立しこれに対処したが、爆発的な増加を見せる亜生物の侵略に対して、情勢は悪化の一途を辿っていた。
人類の遺伝子を取り込むことでさらなる進化を遂げる亜生物に対し、人類側は圧倒的な戦力差を埋める事だけで精一杯の状態だった。
繰り広げられる未曾有の危機の最中にありながら、人の領域をはるかに超越した彼ら亜生物や新人類を、多くの人々は極めて侮蔑的な意味合いを込めて、「NEORON」と呼んだ。
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